明けない夜はあった
自己嫌悪で忙しい
やらないことによるデメリットがどんな悲惨な未来を作るか分かっていながら、私は授業に出ることも課題をやることも勉強することも出来なかった。
努力が結果を作ると分かっていながらも努力が出来ないのは、うつになる前からどうにかしなくてはと私を悩ます種の一つだった。
何故、努力が出来ないのか。
挑戦、変化、そして評価。私はこの3つを物凄く恐れている。
話は変わるが、バイト先でやる、ちょっと頭をひねれば正確な答えが出てくる数学Ⅱが楽しい。
高校数学はテクニカルな処理を求めるあまり、数学としてどうなのか、センター試験などでテストする必要はあるのか、と言われているが、高校数学は本来の数学教育の目的(論理的な思考を育むとか)とはズレているが他の教科にない、目的を達成する喜びを与えてくれると思う。
どこで読んだのか忘れたが、なるほどと思った話がある。
ゲームには、二種類ある。
一つはゲーム内でのキャラクターや武器や防具なんかを強くして、敵を倒すことを目的としているゲーム。
もう一つは、プレイヤー自身のレベル上げて、それが出来るようになることを目的として求めてくるゲームだ。
前者は普通のRPGやポケモンみたいなゲームで、後者は自分はやったことがないのだがモンスターハンターやFF14や格闘ゲーム、あとはアーケードの音ゲーなどを指すのだろう。
三角関数の計算や指数対数の計算、微分積分、物理基礎の具体的な数字を入れて計算しなければいけない問題など、今まで身に付けた計算テクニックで簡単に出来るとスカッとする。
高校数学は知識があれば解けるものではなく、計算トレーニングが必要だ。攻略方法を覚えながら、攻略するために必要な自分の能力を上げなければいけない。
これはゲームの話の後者にあげた、目的を達成するために必要なテクニックを自分自身がつけなければいけないところに通じるものがあるのではないだろうか。
過程をいちいち評価されるのが苦手だ。
アドバイスを受けるのも苦手だ。
合格を貰わなくてはいけないものに対して合格点に達していないものを引っ提げて何度もチャレンジするのは嫌だが、評価を下すことを目的とした課題なんかは提出した事実だけあればいいと思っている節がある。
講評は、いいか悪いかではなく、そこからより良いものにするためのアドバイスだと言うのに、それを素直に受け取れない。ああだこうだ言われてしまうと、私の作品、そんな作品を作ってしまう私はクズなのだと感じてしまう。
私が何を考えて何をいいと思ったのか聞かれても、自分の薄っぺらさを白状しろと強要されているように思ってしまう。
そんな自分が嫌だ。評価をされることそのものに、どうしようもなく恐怖を感じてしまう。
「卵が先か、鶏が先か」になってしまうが、低過ぎる自尊心が評価から逃げるのか、評価から逃げ続けたから自己評価が下がり続けてこうなったのか。
私の低い自己評価は、そこから這い出るための方法を手に入れることの妨げになっているんだなぁ…。