笑えるようになったら帰りましょう

25歳、自分で自分の育成記録

明けない夜はあった

大学をやめることにした。
自己嫌悪と、終わりの見えない卒論、また半年くらい続く大学通いという未来が、今の一番のストレスだと気が付いたからだ。
親にはまだ言ってない。
もう三時間四時間掛けて通うことをしなくていいと思ったら、気持ちが凄く楽になった。
一人で居たらお風呂にすら入れないので、一人暮らしも出来ないしね。
さようなら、大学生だった私。

自己嫌悪で忙しい

やりたくない、という気持ちはどこからやってくるのだろうか。
主治医に何と言って相談したのかさっぱり忘れてしまったのだが、返ってきた答えは「やりたくないこともやらなくてはいけない」みたいな感じだった。
そりゃそうなのだが、私の「やりたくない」は異常なのだ。

やらないことによるデメリットがどんな悲惨な未来を作るか分かっていながら、私は授業に出ることも課題をやることも勉強することも出来なかった。

努力が結果を作ると分かっていながらも努力が出来ないのは、うつになる前からどうにかしなくてはと私を悩ます種の一つだった。

何故、努力が出来ないのか。

挑戦、変化、そして評価。私はこの3つを物凄く恐れている。


話は変わるが、バイト先でやる、ちょっと頭をひねれば正確な答えが出てくる数学Ⅱが楽しい。

高校数学はテクニカルな処理を求めるあまり、数学としてどうなのか、センター試験などでテストする必要はあるのか、と言われているが、高校数学は本来の数学教育の目的(論理的な思考を育むとか)とはズレているが他の教科にない、目的を達成する喜びを与えてくれると思う。

どこで読んだのか忘れたが、なるほどと思った話がある。

ゲームには、二種類ある。

一つはゲーム内でのキャラクターや武器や防具なんかを強くして、敵を倒すことを目的としているゲーム。

もう一つは、プレイヤー自身のレベル上げて、それが出来るようになることを目的として求めてくるゲームだ。

前者は普通のRPGポケモンみたいなゲームで、後者は自分はやったことがないのだがモンスターハンターやFF14や格闘ゲーム、あとはアーケードの音ゲーなどを指すのだろう。

三角関数の計算や指数対数の計算、微分積分、物理基礎の具体的な数字を入れて計算しなければいけない問題など、今まで身に付けた計算テクニックで簡単に出来るとスカッとする。

高校数学は知識があれば解けるものではなく、計算トレーニングが必要だ。攻略方法を覚えながら、攻略するために必要な自分の能力を上げなければいけない。

これはゲームの話の後者にあげた、目的を達成するために必要なテクニックを自分自身がつけなければいけないところに通じるものがあるのではないだろうか。


過程をいちいち評価されるのが苦手だ。

アドバイスを受けるのも苦手だ。

合格を貰わなくてはいけないものに対して合格点に達していないものを引っ提げて何度もチャレンジするのは嫌だが、評価を下すことを目的とした課題なんかは提出した事実だけあればいいと思っている節がある。

講評は、いいか悪いかではなく、そこからより良いものにするためのアドバイスだと言うのに、それを素直に受け取れない。ああだこうだ言われてしまうと、私の作品、そんな作品を作ってしまう私はクズなのだと感じてしまう。

私が何を考えて何をいいと思ったのか聞かれても、自分の薄っぺらさを白状しろと強要されているように思ってしまう。

そんな自分が嫌だ。評価をされることそのものに、どうしようもなく恐怖を感じてしまう。

「卵が先か、鶏が先か」になってしまうが、低過ぎる自尊心が評価から逃げるのか、評価から逃げ続けたから自己評価が下がり続けてこうなったのか。

私の低い自己評価は、そこから這い出るための方法を手に入れることの妨げになっているんだなぁ…。



普通のライン

普通になりたい、普通になりたいと思うが、そもそも普通とは何なんだろう。
週5フルタイムで働いてる、っていうのが普通だと思っていたけれど、最近週4こそが正しい働き方! とか、今の子は自然淘汰されずに生かされてしまった子がいるから週3数時間働いただけでヘトヘトになってしまう人がいるみたいなツイートを見た。


先日、高校受験から勉強を見ている現役高校生と話していて、彼女のご兄弟が所謂ニートで、そんな兄弟に対して彼女は「働かないのが普通になると、楽なのが普通になるから辛いことができなくなる。」と言っていて、大変耳に痛い話だと思った。
自虐でニートでーすwww みたいなことを言うが、マジトーンでニートでしょ? と言われると、いや違うしと反論してしまうだろう。
週1だが塾講師のバイトをしているし、一応大学に籍は置いている。
まぁ、外野から見たら、堕落した日々を過ごしているようにしか見えないだろう。

やらなくてはいけないことに、優先順位が付けられないのだ。
来年度はもう4回も挫折している必修の授業に出なくてはならない。
でも、あの授業に出るためには私のこの低過ぎる自己評価を少しでも上げるためのトレーニングが必要だ。
それは、間に合うのだろうか。
正直、来年度もまた授業に出られなくて誰にも相談出来ずに単位を落とすんじゃという不安がある。
自分を騙すのはもう無理で、とっくに限界は超えている。
それよりも、来年度大学に行くにも授業料を少しでも稼がなくてはいけない。
なのに、中毒みたいにカード支払いの買い物がやめられない。
金銭に対する嫌悪感という問題も抱えている。
それより、来週卒業論文の締め切りで明日大学に行かなくてはならない。
既に行きたくなくて、頭痛と眩暈がする。
悩め始めると、明日が来なければいいのにと思ってしまって眠れなくなる。
どこから切り崩していけばいいのか。
そういえば、こういうのをどこでどう相談すればいいんだろう。
問題は馬鹿みたいに山積みだ。



八方ふさがり

ブログを始めた頃は調子が良かったから、自分は本当はうつなんかじゃないのでは? なんて書けた。
期末テストが終わったのだが、結果は「受けた意味がない」レベルの出来だ。テスト勉強には身が入らず、ノートを見返しても理解しても一瞬でわからなくなるし、全く覚えることもできなかった。

大学は実家からだと移動時間で4分の1日が潰れる。
馬鹿みたいに長い電車移動中は本を読んだり、ネットサーフィンをしたりするのだが、最近気になったのは「うつの回復」についてだ。
うーん、やっぱりインターネットで「回復しました!」と言える時点で、参考にならないんですよね。
自分は外側は平気な時と何一つ変わらずに振る舞えてるような気がするんですが、中身がもうぐちゃぐちゃでどこから手を付ければいいのか分からない。

頭に置いておきたいのは、私の何かを変えなければもし今後うつから回復したと思っても、確実に再発する。
変化を恐れず、必要なものだと理解し、元の自分を忘れる。
で、そうするにはどうすればいいんだよ、どれだけ時間と手間が必要なんだよ、ってちょっと絶望してる。
何だよ、全然大丈夫じゃないじゃんなぁ。

とりあえず来週が一番の修羅場で、色々とめちゃくちゃになるだろう。
せめて天気良くなってくれないかなぁ。

コストを払うということ

私は自尊心が低い。
そのことにより引き起こされている問題として、自覚しているものは「相談が出来ない」が挙げられる。

今日、久し振りにその「相談が出来ない」ことによる不利益を感じた。
iPhoneを4Sから6にした話で、母が「自分のミスを疑わない」と書いたが、それは自分が大人になって母がそうなのだと気が付いたわけではない。
それこそ、小学生くらいのときから、母の自分のミスを認めない、疑わないことには悩まされていた。
例えば何かを取ってきてほしい、と頼まれた時、母の指示が抽象的過ぎて間違え、怒られながらそれっぽいものを探して持っていくことを繰り返したことは、うっすらとした記憶だが数回はあった。
いつまでも抽象的な指示に、泣きそうになりながら必死に母の頭の中を当てようとしていた気がする。
前日と言ってることが正反対になることも、何度もあった。
何かに悩んだり迷ったりしても、前日は反対したのに次の日には背中を押される、またはその逆を何度も経験した。
そんなことを繰り返されて、私は母親を相談する相手ではないと判断した。
弱音を吐くことも、相談と同じ系列になり、私は誰かに相談したい、弱音を吐きたいという気持ちを抱え込むだけになっていった。
身近な親が常に応援してくれるわけではない、ある日突然掌を返されて、味方がいなくなることは怖い。

自己評価の低さ、自尊心の低さについて、どうにかしなくてはと思う反面、親が教育で払うべきコストを大人になった自分がわざわざ払わなくてはいけないことを、とても悔しく思うし怒りも感じる。
妹と弟は、親の育ててくれたというコストに対して、感謝を返すことが出来ている。
私は感謝というコストを払うが出来ないし、多分当分はしてやるものかと思う。

Kindle破産

最近文章が読めない周期に入ってしまっているのと、大学の方でやらかしてしまったことによる自己嫌悪で動けなくなってった。

あまり間が開くと、ブログを書くことを忘れそうなのでどうでもいいことを書く。
iPhoneを新しくしたことで、iPhoneKindleを使うようになった。
話題になった漫画とか、角川のセールで安くなってたのとかあって、色々買って読んだ。ちょっと買い過ぎてカードの支払いがヤバそう。

本屋だと何かスピリチャルな胡散臭い感じがする、うつ病関連だと押し付けがましい、という訳で、そういった本を手に取れずにいた。
でもAmazonで見てると、ただの本って感じがして、精神的に辛い時読んだって紹介されてた本とか普通に興味が持てる。
自己評価の低さについて、大学のカウンセリングみたいなやつを受けた時にも指摘されてて、Amazonで偶然出会った本を読み始めた。
文章読めない周期だし、自分の意識から生きるルールまでを変えていく! という本なので、最初から読むのがしんどくて中々読み進められない。
読みながら色々考えなきゃいけないので、寝る前にサラッと読むとかできなさそうなんだけど、このブログで話題にするにはいい本との出会いだと思う。
何か進展や、書きたいことが書けたら、書きます。

MOTHER

 
最初から最後まで、タイトルに続く何か
 
手帳ジプシーを数年続けている。
去年の春から夏辺りに、パイロットのkakunoという万年筆を買った。
それにより文字を書くことが死ぬほど嫌いだった私が、万年筆を使うという手段と目的が入れ替わるような形で、適当な日記を書き続けている。
手帳ジプシーの記録は書いてみると長くなったので、また別の記事にする。
 
万年筆にハマると、それに伴いインクや紙といった万年筆を使う上で必須のそれらにも興味が湧いてくる。インクについては、Twitterハッシュタグの「#インク沼」を見ると大変面白い。沼沼しくて。
万年筆ライフを楽しく快適なものとするために、私は先人達の知恵と経験を拝借し、インクと手帳について知識をつけた。
インク沼にはまだ爪先が触れるか触れないか程度だが、ノートや手帳は何冊か買った。
情報を集めているうちに、万年筆に向いているノートとしてオススメらしい、MDノートに出会った。
MDノートには、中身は無罫・方眼・横罫の三種類あって、サイズは四種類くらいある。
私はA5の手帳やノートを使っていたので、MDノートもA5を買おうか長い間迷っていた。
紙はいいものらしく、ページ数が多いものなので、値段がそこそこする。そのため、MDノートはすぐに購入に踏み切れなかった。
どういった順番で考え、結果に至ったのか忘れてしまったが、結局私は去年の年末に文庫本サイズのMDノート(方眼)を買った。ほぼ日手帳のカバーを使いたかったからだ。
 
MOTHERをプレイしたことはないのだが、偶然見かけたツイートを気に入り、どせいさんbotをフォローしている。
ニコニコ動画で、実況動画を途中までだが見た。
MOTHERへの思い入れはその程度だが、ほぼ日手帳からMOTHERのカバーが出たとき、物凄く欲しくなった。
予約と売り切れ、再販を繰り返すのを見たのと、MOTHERカバーはカズンサイズではなく文庫本サイズで、私はA5サイズを愛していたので、その時は購入に至らなかった。
 
それが2014年の末になり、新年を迎えるのだから手帳を新調したい欲が出てきた。
それとバイト先に手帳を忘れるのを数度繰り返していた私は、荷物を減らすためにコンパクトなサイズに、そして少し派手な手帳にしたいと思っていた。
 
万年筆、MDノート、コンパクトなサイズ、ほぼ日手帳
 
私の使いたい物を全て使うベストな布陣を、私はほぼ日手帳のカバー+文庫本サイズのMDノートと判断し、2015年1月1日から使い始めた。
文庫本サイズのほぼ日手帳を使うことも何度か考えたが、万年筆との相性が分からなかったのと、MOTHERのカバーと中身の手帳のセットがオンラインショップで売り切れていたのでやめた。
 
 
母の話
このブログを作ったときに「あ、ここで書こう」と思ったことがある。
コミックウォーカーというアプリで読んだ、の田房永子の「母がしんどい」についてだ。
アプリで第1章が途中まで読めるのだが、第1章 その6の「約束のおこずかいちょうだい」を読んで、首がちぎれるほど頷きたくなった。物凄く共感したのだ。
お金にまつわる恨み言は山のようにあるので「約束のおこずかいちょうだい」を読んで思い出した出来事だけ書く。
 
小学何年生の時か忘れてしまったが、その当時、私はまだお小遣いを貰っていなかった。
私が小学二年生に上がる前に引越しをして、転校した後というのは確かなので、小学二年生以降のことだ。
ある日、おそらく近所に住むクラスメイトと遊ぶことになり、じゃあおこずかいを貰ってコンビニでお菓子を買おうという話になった。
私は母にそれを話し、母はこづかいを寄越すことに渋ったりせず了承してくれた。
しかし運悪く、母の手元に小銭がなかった。
仕方なく、当時専業主婦だった母は、姑(祖母)に100円だか150円だかを借りて、それを私に渡した。
私は喜んでこづかいを握り締め、クラスメイトとコンビニでお菓子を買い、クラスメイトの家で遊んで帰宅した。
そして楽しかった気持ちのまま帰宅すると、母から渡した金を返せと言われた。
私がお菓子を買った店は駄菓子屋ではなくコンビニで、しかも300円よりも少なかったこずかいが、余っているはずもない。
こずかい制度もなく金額を数字でしか認識していない小学生には、訳が分からなかった。
私は素直に使ってしまった、と言うと、母はあれはおばあちゃんから借りたんだ、どうやって返すんだと罵られた。
烈火のごとく怒鳴り散らされたのか、それともチクチクと嫌味ったらしく言われたのか覚えていないが、とにかく25になった今でもおぼろげに覚えているほどの出来事だった。
母のよく分からない行動で私は傷付いた、そんな記憶の一つだ。
 
こうして書いてみると、田房永子さんの漫画とは似ても似つかない話のような気がする。
しかし、あの漫画に描かれている幼少期の田房さんの気持ちが、手に取るように分かる!! と思った。
 
毒親という言葉を耳にするようになってから「母がしんどい」も知ったのだが、現在実家にいることもあって本として手元に置いておきにくいな、と思って未だ購入はしていない。
自尊心が十分に育っていなかったと感じて、どうにかしなければと重い腰を上げる直前の今、読むには少し辛いかもしれない。
長女の私が結婚適齢期になり、すぐ下の妹ももう成人しており、同い年の大学生の彼氏がいる。
娘の結婚を意識したのか、母から「しんどい母」になる片鱗が見えているような気がする。
今調べてみたら、Kindle版があった。近いうちに読んでみようと思う。
 
日記的な何か
とある漫画を全巻注文したのだが、まさかの在庫把握ミスで希望の日に届かなかった。
昨日、メールが来て、どうやら一二週間かかるらしい。
今日は大学に行って、真っ直ぐ帰らずに足を伸ばして買い物に行った。
色彩雫というパイロットのインクの小瓶verを置いている店を発見出来たので、買いました。
「天色」と「孔雀」と「紅葉」です。
次は「稲穂」、「冬将軍」か「霧雨」」、「深海」か「月夜」が欲しいです!