笑えるようになったら帰りましょう

25歳、自分で自分の育成記録

コストを払うということ

私は自尊心が低い。
そのことにより引き起こされている問題として、自覚しているものは「相談が出来ない」が挙げられる。

今日、久し振りにその「相談が出来ない」ことによる不利益を感じた。
iPhoneを4Sから6にした話で、母が「自分のミスを疑わない」と書いたが、それは自分が大人になって母がそうなのだと気が付いたわけではない。
それこそ、小学生くらいのときから、母の自分のミスを認めない、疑わないことには悩まされていた。
例えば何かを取ってきてほしい、と頼まれた時、母の指示が抽象的過ぎて間違え、怒られながらそれっぽいものを探して持っていくことを繰り返したことは、うっすらとした記憶だが数回はあった。
いつまでも抽象的な指示に、泣きそうになりながら必死に母の頭の中を当てようとしていた気がする。
前日と言ってることが正反対になることも、何度もあった。
何かに悩んだり迷ったりしても、前日は反対したのに次の日には背中を押される、またはその逆を何度も経験した。
そんなことを繰り返されて、私は母親を相談する相手ではないと判断した。
弱音を吐くことも、相談と同じ系列になり、私は誰かに相談したい、弱音を吐きたいという気持ちを抱え込むだけになっていった。
身近な親が常に応援してくれるわけではない、ある日突然掌を返されて、味方がいなくなることは怖い。

自己評価の低さ、自尊心の低さについて、どうにかしなくてはと思う反面、親が教育で払うべきコストを大人になった自分がわざわざ払わなくてはいけないことを、とても悔しく思うし怒りも感じる。
妹と弟は、親の育ててくれたというコストに対して、感謝を返すことが出来ている。
私は感謝というコストを払うが出来ないし、多分当分はしてやるものかと思う。